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中尊寺の歴史

松尾芭蕉と中尊寺

源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曽良と2人、「奥の細道」の旅に出ます。芭蕉46才、曽良41才の春です。江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。丘の頂きに忽然とあらわれるのは束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、それに合する衣川。そこには往時の栄華はなく、旧跡は田野となってひろがっているばかりです。

夏草や 兵どもが 夢の跡

「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という杜甫の句を思い起こしながら芭蕉はしばらく高館に笠を下ろします。
続いて中尊寺を訪れた芭蕉は、かねてより伝え聞いていた金色堂に参詣します。鎌倉北条氏によって建てられたといわれる覆堂の中で、朽ち果てた金色堂はかろうじて光を投げかけます。

五月雨の 降残してや 光堂

金色堂を光堂と称したのも、仏と人との間に介在する光と、その光の彼方にある盛衰の歴史に、芭蕉のまなざしが向けられていたからに相違ありません。

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